心に残るいい話(3) 
 項      目 親子のきづな
古ぼけたカバン  もうずいぶん前のことですが、神戸市で中学校の弁論大会が行われ、私も審査員の一人となりました。そのとき大変感銘した中学校三年女子生徒の弁論があります。うろ覚えですが、次のような内容でした。
 待ちに待った修学旅行が目の前に迫りました。旅費は母が内職をしながら工面してくれましたし、服も靴もその他の用意もすっかりとととのえて、うれしさにひたっていました。ところが旅行の前日になって、私の気持ちは喜びから悲しみへ急に変わったのです。いつものように私たちは学校で旅行のことを楽しく話し合っていました。
「私ね。お父さんにすばらしい旅行カバン買ってもらったの」「あらそう、どんな色?」「明るいグリーンだわ6千円だって」「私は今日買ってもらうんだけど」「木村さんはどんなカバン?」私は返事ができませんでした。私の旅行カバンは、それは、三年前なくなった父の残した、ところどころひび割れている男物の古ぼけた黒いカバンでした。その時までカバンのことは少しも気にかけていなかった私は急に目の前が真っ黒になった気がしました。
  その晩私は母にねだりました。うるさいほど必死になって新しいカバンを買ってくれとせがみました。でも母は「お金がないのよ。しんぼうしなさい。」の一点張りでした。私は母をうらみました。「たった一人の娘が修学旅行に行くのに、お母さんのバカ、バカ!!」そう叫ぶと、私は寝床に飛び込んでふとんを頭からかぶりました。"ああ、お金持ちの子に生まれたい"涙がとめどもなく流れました。
 ついにその日が来ました。あれほど楽しみにしていた修学旅行、それが古ぼけたカバンのためになんと呪わしいものに感じたことでしょう。私は「気をつけてね」と言いながら見送る母をふり向きもせず、重い足を引きづりながら駅に向かいました。友達はもうみんな来ていました。たくさんの視線が私のカバンに集まっているような気がして、私はいてもたってもいられない気持ちでした。私は友達が話しかけても、うわの空の返事をしながら、みんなのカバンを眺めまわしました。どれもこれも立派な新しいカバン、色とりどりでまるで花園のようです。それに比べ私のカバンがどんなにみすぼらしく見えたことでしょう。「ああ、いっそうのこと何も持たないで来た方がよかった」と思いました。私は重苦しい気持ちで車中の人となりました。みんなは楽しそうに親たちと別れのあいさつをしています。
  私の母は来ませんでした。私は母が来なければいいと思い続けていました。母なんか見たくなかったのです。列車が動き出すと、さっそくみんなでおしゃべりやゲームをやり始め、とても楽しそうです。私はカバンをみんなに見えないように手で隠しながら黙って座っていました。こんな修学旅行を何年も楽しみにしていた自分がバカらしく思われました。「木村さん、お菓子を食べようよ」山口さんの明るい声にハッと我に返りました。私は少しもほしくありませんが、食べないとよけいに変に思われるので、しかたなくカバンを開けてあめ玉を取り出そうとしました。
 するとカバンの中に封筒が一枚入っています。表書きには「芳子さんへ、母より」とあります。私はいぶかりながら封を切りました。中には手紙が入っていました。「芳子さん。お母さんは心からすまなく思っています。あなたにどんなにか新しいカバンを買ってあげたかったことでしょう。でもどうにもならなかったのです。お母さんはいっしょうけんめい努力したけれど、どうにもできなかったのです。お母さんにはあなたの気持ちがよくわかります。だから心からお詫びします。あなたがつらいだろうと思うので、駅には見送りに行きません。家の窓から電車が通るのを見送りたいと思います。同封の2千円はお小遣いの足しにしてください。お母さんはこれだけが精一杯です。お母さんも、あなた以上に悲しいのです。つらいのです。けど我慢します。あなたも我慢してください。体に気をつけて、楽しい修学旅行でありますよう祈っています。おみやげの話を楽しみにしています。では元気でいってらっしゃいね」私は急に涙がこみあげてきました。
  私は大声をあげて泣きたくなりました。"お母さんいいのよ、いいのよ、私こそごめんなさい。わがまま言って"今までのつらさも、悲しさもふっとんでしまいました。なんという深い母の愛情でしょう。”お母さん”芳子は古ぼけたカバンで十分です。このカバンの中には何よりも尊いお母さんの愛情が入っているのですもの。私は堂々とこのカバンを振って歩きます。お母さん、ありがとう”私は泣きながらあめ玉をしゃぶりました。そして心の底まで明るくなりました。


1枚の手紙 一枚の手紙

 以前、インターネットで「心に残る話」を検索しているとき、とってもいい話を見るけることができました。あれからもう5年も立っているので内容もうろ覚えなのですが、次のような内容だったと思います。

 日本が太平洋戦争をしているときの時代です。この家に待望の男の子が生まれました。お父さんは、とってもこの息子を大切にし、暇さえあれば、背中にこの子を乗せ、お馬さんをしてあげていました。ところが、戦争が激しくなり、この子のお父さんも兵隊として戦地にいかなくてはならないようになりました。昭和20年8月、この子のお父さんは、特攻として敵の船に体当たりをすることが決まりました。
 特攻をする前日にお父さんは、息子に手紙をだしました。
「お父さんは、もう、お前のお馬さんをしてあげることができなくなりました。お母さんを大切にしてください。父より」
 短い文ですが、お父さんの気持ちが痛いほどわかる手紙です。あなたは、この手紙に書かれた言葉をみて何を感じますか。
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